何故チェリーが選ばれたのか。

中学の音楽祭(合唱コンクール)で私のクラスはチェリーを歌った。

 

何故昔の曲であるチェリーが選ばれたのか。それには1年越しのある事件が原因だった。

 

中学1年の合唱コン、その年は1Lの涙というドラマが流行った年だった。

レミオロメンの粉雪が流行った年である。

そのまさに、1Lの涙のテーマソングがレミオロメンの3月9日だった。

 

我々のクラスは、3月9日をどーしても自由曲に選びたかったが一つ問題があった。

 

 

合唱用の楽譜がまだ発売されていないのである。

 

クラスのとある女子は言った。

私が作ると。

 

しかし、合唱用の楽譜をパート別に作るのは容易なことではない。

キーだって原曲ママでうまくいかなかったりする。

 

なにせまだ中学生である。

 

迫る音楽祭、練習の土台にも立てない。男子はボイコット、そう、まさに合唱コンの地獄絵図である。

 

そして我がクラスは合唱コンの練習をきっかけに授業も学級崩壊するほどになってしまったのであった。

 

 

それから1年後の合唱コンである。

さぁ、自由曲何しよう。

少年少女は学んでいた。

 

 

合唱用の楽譜が確実にある曲で、皆が知ってる曲にしよう。

 

偉大なるスピッツ、チェリーが選ばれた理由であった。