内容はないです。
若かりし時のおじいちゃん。
イケメンかよ。
書くことが無いけど、そもそも何か実のあることを書く前提で作ったブログでは無いので見逃そう。
さて、最近ではうつ病とか、パニック障害とか、そういうメンタルヘルス的な言葉が世間に浸透してきた。
いまや、誰もが何かしらの精神疾患を持ったメンヘラな世の中ではなかろうか。
だからこそ、言える、私もその1人であると。
私は小さい頃から勉強が出来ること、つまりテストで良い点数を取ること、高い偏差値でいることが世の中で上位に立てると信じていた。
だから勉強一筋を貫いて来た。
だけど現実は違った。
世の中、勉強が出来ることなんて長所の一つでしかなくて、それ以外の魅力を持つ人がごまんといる。
ごまん。
5万。
以外と少ないとかツッコミなしな。
小さい頃信じてたモノサシは大人になったら全く使えなかったりするってこと。
だけど、私は勉強を頑張ってて良かったなぁと思ってる。
天性の才能なんて全然無いから、努力でどうにでもなる手段、長所を伸ばせてほんとよかったから。
そんな勉強だって、ある日突然裏切られる日が来た。
そう、メンヘラになったあの日。
私は勉強が全く手につかなくなった。
毎日5時間余裕で勉強できてたのに5分もできなくなった。
布団から出られない。
授業中もねてしまう。
ありとあらゆる外界からの情報のインプットが煩わしかった。
インプットが多くなりすぎると発作になった。人が私に何か話してる、周りに人がたくさんいる、目の前に文字がある。
それらが全て私の精神を圧迫していた。
何よりしんどかったのは、私の唯一の取り柄、アイデンティティであった勉学が、私の手のひらから溢れて行ったこと。
私は生きてて価値があるのだろうか、どんどん私の株価が落ちていくように感じた。
こんなどん底の中からどう立ち直ったは、また今度気が向いた時に書くことにして、今思うことは。
別に人間に株価なんて実際存在しないし、生きる価値なんて他人に決められるもんじゃないってこと。
私が生きてて、私が楽しければそれでおっけー。
もっと言えば生きているだけ儲けもん。
ダメ人間だろうとゴミが捨てられなくとも、生きてるだけで偉いんだな。
そう思えることが強いかな。
あとは、自分がどういう人間でありたいのか、どう生きていきたいのか、その信念を持つこと、それが大事だなって思う。
以上酔っ払いの戯言でした。
おばあちゃん
私が初めて麻雀牌に触れたのは箱根のとあるペンションだった。
当時、酷いアトピーだった私たち双子をおばあちゃんが湯治に連れてきてくれたのだ。
小学校低学年だった当時は温泉の良さはちっともわからないし、おばあちゃんは勉強を勧めるばかりで退屈だった。
双子は暇を持て余しペンションの中の棚という棚を開ける。
そしてついに見つけた、麻雀牌セット。
見兼ねたおばあちゃん、ちょうど4人だし、麻雀やってみるかい?と。
おばあちゃんから教わった麻雀の役は七対子。箱根ペンション麻雀は全員が七対子を目指す。七対子しか和了できない。また、テンパったらリーチをしなければならない。ドラと裏ドラはある。
そう、ほぼほぼ運ゲーなのである。
今思えば七対子しかない麻雀ってなんだよ、おばあちゃん!と思うが、おそらくおばあちゃんなりの優しさだったのだろう。小学生でもすぐ楽しめるように。
また、我々双子は、七対子が双子7組という親近感もあり、おばあちゃんの思惑通りすっかり七対子麻雀にハマったし、小さい頃は七対子やトイトイが大好きだった。
おばあちゃん、私は今は七対子があまり好きじゃないです。
プサンプサーン(ルパンのノリで)
言ってみたかっただけ。
おじいちゃん
世の中にはやり過ぎるのは良くないものが多い。何事もバランスが大切だ。
しかし、2つだけやり過ぎることがないことがある。
それは勉強と歯磨きだ。
これはおじいちゃんの名言である。
おじいちゃんは麻雀の名言、迷言もある。
•麻雀は一人でやってるわけじゃない。だから人を待たせるな。迷って打つな。
•3と7は大事にしろ。
•左手は出すな。全ては右手で行え。
•ミカンかけてるんじゃねぇ。
おじいちゃんは麻雀が大好きだった。だから気付いた時には我が家には麻雀部屋があって、全自動卓が1卓。毎週近所の若者とともに、徹夜で麻雀を打つ、打つ、打つ。
朝起きてランドセルを背負う前に打ってる人にコーヒーを出してから学校に向かった私であった。
おじいちゃんは面子が集まる前に必ず卓のメンテナンスをしていた。それを手伝うと少しだけ麻雀をさせてくれる。
そう、当時の私は年に1回、誕生日しか麻雀をしてもらえなかったわけである。
とにかく麻雀を愛して止まないおじいちゃん。当時は競技麻雀も知らず、ずっと家で打ち続けていた。
おじいちゃんはある日脳梗塞になり左半身不随になった。身体が思うように動かない。だけど退院したら、麻雀なら出来るだろうと本人も、家族も信じて疑わなかった。
そして、その日、麻雀がいつもの通りに行われた。あまりリーチをしないおじいちゃん、ロン、七対子、という発声。
開かれる手配。
そこには5つの対子のみ。
おじいちゃんは脳梗塞の影響で手配の半分しか処理出来なくなってしまった。
チョンボに気付いたおじいちゃん、お部屋に黙って引きこもってしまった。
それ以来、我が家の全自動卓が動くことはほとんどなくなってしまった。
おじいちゃんは長い長い闘病生活を数年前に終えて、今は空でゆっくり見守っていることだろう。
おじいちゃん、今の私なら一緒に卓を囲んでくれますか?
これは台湾の寺のでっかいブッダ。
おじいちゃんではない。
続かないブログ始めました
いつ辞めるかわからない、そんなブログがあったっていいじゃない。
否、サボり症の私を甘やかすための口上です、こんばんは。
私はRMUにはいって気付いたら丸5年、つまり6年目になった。
常に運営のヒトとして、運営に関しては誰にも負けないゾという気持ちで駆け抜けた感がある。
今では大会運営、放送運営どっちもバッチコイの無双状態。
なぜ運営をやるか。
麻雀プロと呼ばれる人たちは、もちろん麻雀という競技の中で輝く一瞬が最も大事だと私も思う。
麻雀で魅せて、強くて、なんぼなのである。
そんな世界で運営をやることは、ある視点から見るととても損に見える。
実際私も何度もやめようかと思った。
何回も何回も。
でもそのたびに、例えば頼りにしてるよ、の一言だったり。
ますださん、すごいですね、の一言だったり。
大会に参加してくださる皆様の、今日もよろしくね、だったり。
生放送の、運営さん頑張って、のコメントだったり。
そんな一つ一つのお陰でこうして今もRMUにますだはいる。
いつかは、競技者として活躍したいと思うけど、まだまだ実力が足りない私は、運営を通じてRMUに、麻雀業界に、ちょっとでも、貢献したい。
長くなったけど、本当に今日まで続けて来れたのはこれを読んでるあなたのお陰です。
続かないブログ、次はいつの更新になることやら?