ますだと麻雀 その6
大学受験を失敗し、いよいよ高校を卒業するその日、日本は未曾有の大災害に見舞われた。
東日本大震災である。
卒業式を終えて、謝恩会を校内でしていたときに地震が来た。
私たちは母がたまたま車で来てくれてたのでその日のうちに自宅に帰れたが、テレビから流れるショッキングな光景とACジャパンのCMぽぽぽぽーんを眺める日々。そして実はその頃から私は引きこもりになった。
とにかく外に出たくない、眠い、非生産的な日々のスタートである。
大学受験を失敗してしまったこと、その他いろんな要因があり、メンヘラを拗らせていた。
そんな時に母に誘われて行ったのが横浜雀友会の月例大会である。
その大会ではいろんな経験をさせてもらった。
そして大きな出会いが2つ。
1つは競技ガチ勢のアマチュアの方Kさんたちのグループである。
とても活気があって、家族一同セットをしてもらったり、麻雀を教わったりした。
Kさんの後ろ見をした時は今でも覚えてる。リーチを受けてから自分が想定していなかった手順で回り、タンピン三色ドラドラをあがりきったのだ。
まるで魔法を見てるようだった。
もう1つは初めて関わった麻雀プロとの出会いである。日本プロ麻雀協会の濱プロである。
1回だけ双子に麻雀のレクチャーをしてくれた。
濱プロは6巡目で一旦自分の手牌があがり切れるかどうか、考えること。その時の1つの指標が好形3向聴以上か、悪形2向聴位上等、当時の私たちにとって一番分かりやすい説明をしてくれた。
そしてその時をきっかけに押し引きという概念を知ったのだ。
今まで家族麻雀で切った張ったドラ乗せたできゃっきゃしてたのとはまた違った視点をこの2つの経験から学んだのだった。
RMUにたどり着くまではあと2回くらいかかるかなぁ。。。
ますだと麻雀 その5
その日は突然きた。
おじいちゃんの二度目の脳梗塞である。
脳梗塞はおじいちゃんから麻雀を奪っていった。
脳梗塞後も右手は動くし、座れる。
しかし、おじいちゃんが退院後初めて麻雀した時、チートイツの一向聴で誤ロンしてしまったのだ。
右脳の損傷により手配が7割程度しかわからない、そう言った状況だったのか、おじいちゃんがその日から麻雀をすることはなくなった。
我が家の全自動卓は隅っこに置かれ、卓の上には猫が寝ている、そんな日常に変化した。
そしてついに引越しとともに麻雀卓とさよならする日が来てしまったのだった。
それから3年間、私はとあるネトゲに夢中になり、24時間戦い、そして大学受験に失敗した。
これはまた別の話。
ますだと麻雀 その4
月日は流れ私達は中学生になった。
家も引っ越しして新たな設備が導入された。
それはパソコンである。
パソコンが来たことで、母はロン2を始めた。母に内緒でおじいちゃんがこっそり母のアカウントで麻雀をしたり、というお茶目な場面もあった。
また、この頃にはおじいちゃんがよく呼んでたメンバーで年間私設リーグが行われていた。
そんなこともあってか、我が家は初めて競技麻雀と出会う。
そう、機構杯である。
実は詳しくは知らない。
なぜなら知らない間にみんなで予選に行って、私から国士をあがったAさんがベスト16まで進んだとき初めて聞いたからである。
みんなで応援しに行こう!!という流れから双子は初めて競技麻雀大会の会場に足を踏み入れた。
と、大袈裟に書いたものの、正直その時は全然面白くなかった。静かにしていないといけないし、ベスト16の凄さもわかっていなかったから。
そんな中、母にいきなり色紙とペンを渡される。
😗「あそこに多井さんって人がいるから、ファンなんですって言ってサインもらってきて」
双子はよく知らない人にとりあえずファンです!って言ってサインを貰った。
母にどうだった?って聞かれたので
😊😊めっちゃいい匂いした!
と答えた。
そう、我らが代表多井隆晴である。
ちなみにその時もらったサインはしばらく雀卓がある部屋の一等地に飾られ、引越しとともに、残念ながら紛失した。
それから7年後くらいにRMUに入ることなど誰も想像していなかった。。。
禁酒チャレンジ総括
禁酒チャレンジ結果
23日中7日失敗。
3日に1回は飲んでる。
全然禁酒できなかった。
分かったこと
1.禁酒は難しい
2.禁じてると余計飲みたくなってしまう
3.飲んでしまった時の反動でめちゃめちゃ飲んでしまう
4.お酒を飲む場面が結構多いことを実感
禁酒してみて良かったこと
酔っ払って家に帰った後の迷走がなくなった
酔っ払った後の麦茶摂取やハイチオールシー摂取を忘れなくなった
気づいた改善事項
毎回翌朝鍵の所在がわからなくなるから鍵の位置を決めておく
そもそも禁酒した理由は帰った後家の中でいろんなアホなことをしてしまうのが原因だったので、それはなくなったので禁酒はやめて、1回あたりの飲酒量を減らす減酒チャレンジに切り替えていきます。
ますだと麻雀 その3
お誕生日は何したい?
と毎年母に聞かれ、麻雀!と答えていた。
というのは4人揃って半荘をやってもらえることが滅多になかったからである。
あれは9歳くらいの誕生日だっただろうか。AさんとYさんに麻雀をやってもらった時。
東場の自分の最後のツモ番。
最後のツモで南を切ればテンパイを取れる状況である。
しかし15巡目にAさんからリーチが入ってる。Aさんはこれは高いからよく河を見てね、とアドバイスをくれていた。
河を見ると字牌がほとんど並んでなかった。明らかに国士やってる感じである。
当時の私は国士の河とか分からず、南を切った。
ロン、国士〜!
開かれる手、号泣する私。
この日初めて麻雀の辛さを感じたのであった。
ますだと麻雀 その2
おはよう世界
私は大体朝通勤しながら文章を書くので、文章量は通勤時間に依存します。
さて、前回おじいちゃんから初心者向けの麻雀本をもらった私たち。
なんと双子は全く読まなかった。
正しくはちょっとは眺めたものの難しすぎたのか退屈だったのか途中で投げてしまったのである。
その本は麻雀役の説明をとても丁寧にしており、見開きで1つずつ説明が書いてあるのだがそのあまりの量に引いてしまったのである。
とはいえ当時小学校低学年だった私たち、とにかく暇との戦いだった。
家にある娯楽は遊び尽くした。ある時は何故か家に置いてあった大花火の実機。目押しも出来ないし勝利条件が不明過ぎて15分で頓挫。ある時はおたまじゃくしや鈴虫といった子供心を何故か揺さぶる生物を飼うもののだんだん気持ち悪く思い頓挫。
そしてやっぱり辿り着くは箱根の思い出と共に地下室にある全自動麻雀卓。
ちなみにこの麻雀卓、なかなか個性的で、山がエスカレーターのように斜めに押されて出てくるすごいやつで品番は忘れた。我が家ではトータル5年以上は稼動してたのではないかと思う。
さて、麻雀もとい七対子坊主めくりがやりたい双子。ある日好奇心に負けてとうとう2人で勝手に麻雀卓を動かしてしまう。
そう、片手には例の本を携えて。
双子は常に短絡的なので事前に勉強とかはせずすぐ実践。
本を解読しながらサイコロをふり、山を切り分け見様見真似で2人麻雀。
役は難し過ぎるということで、2,3,3,3,3セットか七対子を目指し、テンパったらリーチする、あとはドラの数が多いと強い。点棒のやりとりはなし、確かこんな感じのルールで遊んでいた。
これは結構双子の中でブームになるか、といったがそんなに甘くない。
そう、夜は大人の麻雀タイムが来てしまうからだ。
大体夜麻雀しにくる大人が来るとおじいちゃんは[みかんかけてるんじゃねぇぞ]と謎過ぎる言葉を発し双子を部屋から出したのだ。
とはいえ麻雀の面子はバラバラと集まる日もあったので、そういった日は早く着いてしまった人たちに麻雀役を少しずつ教えてもらったり、1局お付き合い頂いたりして、徐々に麻雀役を覚えていったのである。
この時まだ点棒はリーチするためのモノという認識しかない。
ますだと麻雀 その1
おはよう世界。
最近文字を書くことに億劫になっているので私と麻雀について何回か分けて書き連ねていく。
私が麻雀と出会ったのは箱根のペンションである。
ペンションというのはマンションっぽい宿泊宿で、そのペンションは温泉が付いている所だった。
箱根だから当たり前か。
あれは小学校2年生の冬だったか、温泉しかないペンションで暇になりすぎた双子は何かないかペンションの部屋の中を捜索した。
そこで見つけたのが麻雀牌セットである。
そして一緒に来てたおばあちゃんが、麻雀やってみるかい?と。
暇すぎた双子は即答した。
ただ、実はおばあちゃんは麻雀自体あまり知らなかったようで、山を適当に積み適当な場所から取り始め、役は七対子のみ、テンパったら必ずリーチをしないといけない、点棒のやり取りはなし。という極めてローカル過ぎる麻雀だった。
それでも双子は夢中になった。
誰が一番早く七対子ができるか、という坊主めくり的な遊びであっても。
そしてその出来事があってしばらくして、増田家は引っ越しした。
おじいちゃんと一緒に住むらしい。
その家は地下室があった。
おじいちゃんは地下の部屋が自室だったのだが、双子はそこに行くのは禁止されていた。
いつだったか何故だか忘れたがある日地下室へ行くことを許されたのだが、行ってみて驚いた。
なんとその地下室は自動麻雀卓が真ん中に置いてあるのだ。
そして毎晩近くの若者が我が家に来ては夜中麻雀をしていたらしい。
どうやらおじいちゃんはゴルフと麻雀が好きすぎたものの、東京へ引っ越してきてゴルフが出来なくなると人生の全ての情熱が麻雀へ降り注いだらしい。
しかしおじいちゃんは私たちに決して麻雀牌を触らせなかった。
理由は子供がやるもんじゃねぇということらしい。
しかしおじいちゃんは暇なのだ。
ある日双子が麻雀を覚えれば日中サンマができるのでは、と思ったのか、麻雀を教えてくれた。
いや、正しくは初心者麻雀本を誕生日に買ってくれたのである。
つづく
いや、つづかないかも。