ますだと麻雀 その12

さて、増田最初の半期目のリーグ戦。

10人のリーグでなんと優勝。

ちなみにこの時の10人のうち、RMUを今まで継続しているのはたったの4人である。

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増田の麻雀はとにかく下手だった。

何せ家族麻雀が主体だったし、通常入会前に抑えられているであろう牌効率だとか基本的なところは全くの無知。

しかしめちゃめちゃついているの星の元に生まれたらしい。

たしか最終節で場に3枚出ているカン3sでリーチをかけて一発でツモり裏ドラを3枚乗せて顰蹙を買った記憶がある。

ちなみに直近のリーグ戦で同じようなことをやって不発。ということをしているのであまり成長していないのかも。

 

特筆すべき点はRMUでできたお友達0人だったということだ。

実際に私は毎節全卓に挨拶して回ったり、萬子の牌チェック率は80%(第1節が字牌)、卓掃率は100%をマークしていたにも関わらずである。

 

どうしてそうなったのか。理由は3つ考えられる。

 

その1

増田が未成年だったから

 

 

RMUの多くの人たちはサラリーマンで兼業している場合もあり、未成年を打ち上げに誘うなんて!という良識があったのだ。

また、私に強く注意するのは阿部さんくらいで、阿部さんにはめちゃめちゃ注意された。

ちなみに内容としては、卓で食事は禁止、観戦時に腕を組んではいけない、などなど至極当たり前のご指導であった。

 

 

その2

麻雀の話についていけなかったから

 

対局の合間等休憩時間に対局者同士であの時どうだった、こうだったとか、観戦していればどうしてアレを切ったのかとか、そういう話で盛り上がるのがよく見る光景だった。

しかし、私は何を聞かれても覚えてないし、そもそも話を聞いていても1mmも理解できなかったのだ。宇宙語かな?とも思ったのである。リャンカンとか、ワンチャンスとかそういう基本的な語句を知らなかったこともあるが、大体の麻雀プロは話す速度がとても早く、私の拙い脳みそでは全く追いつかなかったのだ。

いつしか麻雀の内容の話は私にとってめちゃめちゃ辛い時間•空間となり避けるようになった。

 

 

その3

ATフィールドを展開していたから

 

当時の私の麻雀業界のイメージは非常に悪かった。正直。なのでとにかく自分が嫌な目に合わないように極力話しかけられないように徹していた。そう、挨拶は朝の1回だけ。あとはひたすら気配を消す。淡々とリーグ戦を打つ。

昔を知る人が、丸くなったよなぁと言うのあらかた正しい。

 

大体想像できるだろうか、麻雀自体はそんなに好きでもなさそうでツッケンどんな未成年。

そう、ただのクソガキである。

おそらく誰も私がRMUを続けていくとは思わなかっただろう。

 

しかし、最初のリーグ戦で優勝してしまったのがある意味ターニングポイントだった。

勝てたら麻雀は楽しいじゃん。

せっかく昇級したんだし、もう少し続けてみるか、ってゆるい感じである。