ますだと麻雀 その14
サイファー増田はその後どうなったか。
2013前期 R2降級
2013後期 R2(降級助かり)→降級
2014前期 R3
2014後期 R3
2015前期 R3
2015後期 R3
お察しの通り全く勝てなくなっていた。
おい、採譜やったら麻雀強くなるんじゃなかったのかよ!?
そうではない。
正しくはある程度麻雀の基礎ができている人が真面目に上手な人の採譜をして、なおかつそこから学ぶことができれば、ってことである。
そもそも麻雀の基礎がわかっていない増田がいくら採譜したところであまり意味がなかったのである。
一方RMUではこの3年間もの間、少しずつ変化が現れていた。
人が増え出したのである。
中には鶴海さんというストレート昇級そのままR1から1度も降級せず最高位戦に横移動した猛者もいた。
人が増えても、昇降級人数も大して変わらず、後輩だからと言って私より弱いわけでもない。
依然としてRMU最弱の座は増田であった。
いや、麻雀強くなるために増田何してたんだよ!?
はい、この頃はスプリント大会の運営をやってました。
当時のスプリント大会の運営はライセンス所持者から立会人を持ち回り、運営は他選手の持ち回りで構成されていた。
しかし、困ったことに何故か運営の人数が足りない、パソコンがない、当日になると運営者が行方不明になった等、常に綱渡り状態だった。
(RMUは兼業の人が多く仕方のない部分がわりとあった)
そんな時、大学生で暇だった私はどんな状況でも会場に向かい最速最強で運営をサポートしていた。
あまりにもレスキュー対応をし過ぎた結果、他の人よりもある程度の危機は普通の顔をして乗り越えられることができるようになったが、心中は穏やかではなかった。
本来やるべき人がやってくれなくて、私はフォローに回ってるのに麻雀が強くないと全く評価されないことにとてつもなくストレスを持った。
今思えば、運営極振りは頭悪かったやろと冷静に思う。
後輩はどんどんセットやら勉強会をしているらしい。強くなってて楽しそう。
自分自身麻雀が強くなってるとは思えない。
いまだに対局後みんなが何話してるのかわからない。宇宙語に聞こえる。
そして決定打になったのが大学のキャンパス移動による引っ越しだった。
千葉県は市原市という内房に引っ越していた私はリーグ戦や運営のために片道2時間かけていた。
色々限界だった。
ますだはRMUを休会した。
誤解しないでほしい。
RMU自体への不満というより、自分の人生で一番楽しいはずの大学時代をこんな負の感情で過ごして良いのだろうか?ということが大きかったのだ。