NZの思い出
RMUのホームページで私の紹介ページを見ると、私の出身がニュージーランドとある。
本当ですか?
って聞かれることも多いのだが、本当です。
ニュージーランドで誕生しただけで、両親は共に日本人。
生まれてすぐに日本に帰ってきて、子供の頃はは千葉や東京、そしてたまにニュージーランドに行ってたくらい。
大体ニュージーランドは数ヶ月行ったりもあったがその間私はニュージーランドの地元の学校に通っていた。
ニュージーランドの学校はホームルーム(自分の学年の教室)はあるものの、授業は授業毎の教室に移動する。
大学みたいな感じである。
算数はレベル制になっていて、得意な子は上の学年のクラスに出て良いし、苦手な子は理解できるまで下のクラスになる。
なので、全学年同じ時間に算数をやる感じだった。
図工は、金属を叩いたり曲げたり、切ったりすることを子供にやらせてしまうワイルド具合だったり、Artの教室は机から床から壁まで絵具で塗られだらけ、プールは水深2m、お昼休みはお弁当だけどクラスの半数はポテチがお弁当だった。
ちなみに私は全く英語を喋れなかった。
覚えていたのはplease とthank youだけ。
大体この2つでコミュニケーションが取れていた。
たぶんヒヤリングは出来てたのだと思う。
毎回困っていたのは学校に通い始める最初の1週間である。
移動クラスがわからないし、友達もいない。
時間割がわからない。
今何をしたらいいのかわからないし、休み時間はポツンとするしかない。
そんな時最強のツールがあった。
そう、ポケモンのシールである。
ポケモン世代の私は日本でコツコツ集めていたポケモンシールと図鑑をニュージーランドにも持っていっていたのだ。
ポケモンの人気は凄かった。
持参したシールを持って眺めているだけで大体話しかけてくれる。
ポケモンのお陰で最初の一歩が踏み出せた。
今でも海外出張で、アニメグッズを敢えて身につけて置くと現地の人との会話のネタになるのを実感している。
日本のアニメ文化は世界に浸透しているようだ。
一つ悔やまれるのは、英語を話すことがあんまりなかったことだ。
実際小学5年生からはニュージーランドの学校に通うことはなく、旅行で1週間くらい行く程度で、英語は出川イングリッシュに頼りきりである。
最後に行ったのは大学生の頃なので、もう5年以上行けていない。
コロナが落ち着いたらまたニュージーランド行きたいなぁ。